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日中京子

Author:日中京子
中華圏大好きな日中京子と申します♪京都在住です。
日中友好協会のブログを引き継がせていただきました~
中国って知れば知るほど興味がつきない不思議な国ですよね。
日中友好協会のニュースのほかに、いろいろ京子が思ったことつぶやきます。
どうかよろしくお願いします!
日中友好協会のウエブサイトも新しくなりました。

http://www.nichukyoto.gr.jp/

よかったらお越しください

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厦門大学
バスに乗って厦門大学に行きました。
この大学は、中国で一番きれいな大学ということで期待していったのですが
私の行く数日前に、1日に入場できる観光客の数が定められたみたいで
中に入れませんでした。

あーあ

厦門大学

私と同じく、中に入れない人が外にぞろぞろ…仕方なく記念写真を撮っていはりました。
大学が観光地化していますね~(笑)
これでは入場制限も仕方ないと思いました。

この紫の花が、厦門大学の近くの路上・歩道橋など咲き乱れていてとてもきれいでした。紫荆花というそうです。

近くの本屋で本を見ながらコーヒーを飲んで、いい本を見つけたので購入しました。

大学には入れなかったけど、そこで、本を渉猟して豊かな時間を過ごせたので満足しました。

その本屋さんは、名前を忘れたので地図で調べたのですが、見つかりませんでした。残念。
ですが、周辺にはカフェでゆっくり本をみながらくつろげる本屋さんが他にもいろいろあるようです。

また行きたいな~

by二代目京子

未分類 | 00:20:20 | Trackbacks(0) | Comments(0)
コロンス島その2
厦門は、アヘン戦争の後、開港した5港のうちの1港です
コロンス島は、外国人の公共租界があったと聞いて
当時の洋風建築をみたいなと思っていました。

アメリカ領事館

アメリカ領事館きれいに改築されていました

次の写真は、合記洋行(Syme &Co.)倉庫あとです。

当時、労働条件ひどく悪い中、中国人苦力が働いていました。

倉庫あと

説明板がついています

合記洋行説明版

当時、厦門から大勢の中国人苦力が海外へ移住していきました。
彼ら彼女らのことを知りたいと長年思っていたので、倉庫あとに来れてよかったです
感慨深かったです。

それと、初めはコロンス島の夕日が美しいときいて楽しみにしていました。

でも、夕日の時間のあとに戻ろうと思ったら、ピークの時間に帰らないといけないということがわかり
ビビりました。

「ま、夕日はいいか」

京子は、あっさり諦める性格なので、

コロンス島は少し散策したあとカフェでくつろいで、厦門市街に戻りました。

市街に帰れなくなったら大変ですからね。正直夕日どころではありません。泊るところがありません。

ピーク時を避けたとはいえ、帰りも相変わらずフェリーはすごい人でした…

すごい人数なのに、誰もうろたえることなく、みなさん淡々と規律正しく行動していました。

足元に出っ張りがあるところで機械音で

「小心、小心、小心…」

って、繰り返していたので(それは私にとっては正直うるさかったけど)

人が詰まっていて下が見えにくいのに、誰もこけることもなく、みなさんスムーズに船から降りていきました。

中国の人は、やっぱり人ごみに慣れているのか…さすがだ…

人が満杯のフェリーから降りて、やたらと喉が渇きお腹が空いたので、降りたところにあった
ハンバーガー屋で軽食を食べました。
それが不味かった…
でもハンバーガーのまずさも、中国って感じで、正直楽しかったです(笑)

中国ではハンバーガーなんかより、地元の料理が一番おいしいですよね

この続きはまた

by 二代目京子

未分類 | 22:41:58 | Trackbacks(0) | Comments(0)
後期の中国語受講生募集!
9月から、日中友好協会京都府連中国語講座(後期)が始まります。

後期からでも途中からでも大歓迎です。
アットホームな雰囲気で楽しく、先生方もすばらしい。
1回90分授業でしっかり学べるしなによりレッスン料が良心的です。

中国語興味ある人、ぜひ一度無料の体験授業受けてみてください

また、時間と場所が選べるプライベートレッスンもあります♪

詳しくは中国語のページを見てくださいね
↓ここをクリック
中国語講座

by二代目京子


未分類 | 09:42:08 | Trackbacks(0) | Comments(0)
大連に小京都
大連に京都の町をつくるというニュースも教えていただきました。

ほんとにほんとに驚きました。

京都は中国の昔を残しているから中国人に受け入れられやすい…う~ん、な、な、なるほど

↓ここをクリック

大連に小京都

by二代目京子

未分類 | 23:50:48 | Trackbacks(0) | Comments(0)
英文の英文
友人が、台湾の蔡英文総統の「英文」教室のサイトを教えてくれました。
日本人にとっては、英語教室というよりむしろ中国語の勉強になります
  ↓ここをクリック
英文の英文

うーん、彼女は、なかなか「幽默的人」ユーモラスな人ですね~♪

by二代目京子

未分類 | 23:32:57 | Trackbacks(0) | Comments(0)
GSOMIA終了に伴う韓国大統領府の談話
韓国の発表をそのまま日本語に訳したHPを紹介します

              ↓クリックしてください
GSOMIA終了に伴う韓国大統領府の談話

日本では、残念なことに、なかなか一次資料がそのまま報道されないですよね

by二代目京子

未分類 | 09:02:59 | Trackbacks(0) | Comments(0)
コロンス島その1
プロフィール写真は、厦門のコロンス島です。

去年10月に行きました。

コロンス島へは、厦門の国際フェリーターミナルからフェリーに乗ります

厦門フェリー2


このとき、中国の人口の多さを今更ながら実感しました。

まず、乗船券を買うのにすごい行列です
気長に待って、チケットを買います。

船着き場には、コロンス島の古い写真が展示されています。

コロンス島展示2


乗船の人が船着き場にあふれていますが
みな、慌てることもなく、おとなしく待っています。
混雑に慣れているのでしょう。

船に入ると、自由席なので、みなが素早く席をとります。
その時、ハンドマイクでお兄さんがウイーンウイーンという音を鳴らして、得意そうに注意事項をのたまいます。

それが、別の人がマイクでしゃべっているのに重ねてしゃべっているのにはびっくりしました。

うーん、なんというか、中国だ!と感動しましたね。

超うるさいけど、みんな全く気にしない様子w

乗船客が揃っているか確認してから(席が全部埋まったら揃っているということがわかるそうです)
お兄さんの許しがでて、デッキにみんな出ていきました。
デッキから撮ったのがプロフィール写真です

xiamen3.jpg


そして、コロンス島に着きました

コロンスのリラックス

いい感じでしょ~

続きは次回に

by 二代目京子


未分類 | 23:30:57 | Trackbacks(0) | Comments(0)
敗戦記念日その2
韓国にとっては、光復節ですね。

文大統領の演説がどうだったのか、日本ではちゃんと報道されていないので
URLを貼り付けます。(日本語字幕つき)


文大統領の演説

感動しました。
平和な東アジアは韓国主導で作られるのかな!と幸せな気持ちになりました。

by二代目京子


未分類 | 09:22:06 | Trackbacks(0) | Comments(0)
香港デモ
香港の空港どうなっているのか気になったので、国際空港のHPをみたら、
final callとかboarding soonになっているので
飛行機は飛んでるのかなと思います

日中友好新聞にジャーナリストの水島斉一さんによる関連記事が掲載されています。

「逃亡犯条例改定案」完全撤回から民主化要求へ

その内容は、

林鄭行政長官は、法案審議の無期限延長を表明したが、デモは、完全撤回を要求しているとのこと
2014年の雨傘運動では行政長官選挙の、民主的な直接選挙を求めたが実現せず
その後の選挙で選ばれたのが中国政府が支持する林鄭氏だった。
立法会も定数70のうち半数が職能団体による間接・制限選挙で民意が十分に反映されているとはいえない
行政長官と立法会議員を普通選挙で選びなおすよう求めているとのことです

う~ん、なるほど、よくわかりました。

by二代目京子

未分類 | 09:48:17 | Trackbacks(0) | Comments(0)
敗戦記念日
今日は、敗戦記念日です

私は京都で育ちましたが
父は大阪の人でした。父は兵隊にならずにすんだのですが
空襲で焼けるからって、家を取り壊されたそうです。
3日で家を出なければならず、そのあと、家族であちこち転々として
京都に引っ越したそうです。

父の大好きなお兄さんは南方戦線で戦死してしまい
父も栄養失調で結核になったりと
父の生前にいろんな苦労話を聞きました。
父が亡くなる前にもう少し聞いておこうとお兄さんのこと聞いた時には、父の目に涙が伝っていたので
あまりいろいろ聞くことはできませんでした。
父はめったに泣かない人だったのでその悲しみ悔しさってどんなだっただろうと思います

今日はそんな父の命日でもあります。

すごい数の犠牲者を出した、このばかげた戦争は、日本が起こしたのだということを忘れてはならないと思います

by二代目京子

未分類 | 09:30:47 | Trackbacks(0) | Comments(0)
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